沿革
名称 | 引接山 極楽院 大蓮寺(いんじょうざん ごくらくいん だいれんじ) |
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開基 | 慶長5年(1600) 関ヶ原の合戦の年です 専蓮社深誉和尚により下京区若宮五条の地に開山 第二次大戦後の強制疎開で現在の地へ移る |
本尊 | 阿弥陀如来(通称 安産阿弥陀如来) |
宗派 | 浄土宗 |
宗祖 | 法然上人 |
教え | 自身を愚鈍の身と自覚して、阿弥陀如来の本願の教えを信じて極楽に往生したいと願いお念仏を称えれば必ず救われ、現世を思い煩うことなく過ごせる。 |
法然上人
祇園社との関係
明治の廃物稀釈以前、現在の八坂神社は祇園社感神院と呼ばれており、境内には観慶寺という薬師堂がありました。
大蓮寺と祇園社は江戸時代に深い縁があったようで廃寺になった時、仏像やその周りの仏具はすべて大蓮寺に移されています。
その中に、薬師堂の本尊重要文化財薬師如来(秘仏)、日光・月光菩薩、十二神将、洛陽八番の十一面観音菩薩、さらには、洛陽十二神中の夜叉神明王などがあります。祇園社と当寺とのゆかりを示す物として、『観慶寺勧進帳』や『観慶寺朱塗欄干(感神院紋入)』が残っています。
観慶寺勧進帳
観慶寺勧進帳
観慶寺朱塗欄干(感神院紋入)