本堂には、慈覚大師の作と言われる端整な阿弥陀如来像があります。
この阿弥陀様に「安産の寺」の由来があります。
慈覚大師は晩年、比叡山の念仏堂にこもり、念仏三昧に修行し、最後に阿弥陀如来を彫りました。
仕上げに掛かっていると、夢の中で阿弥陀如来が「比叡山から京都へ下りて、女人の厄難(お産の苦しみ)を救いたい」とお告げになりました。
お告げに従い、女人禁制だった比叡山を下りて、真如堂に安置されると、たちまち京都の女性たちから圧倒的な信仰を集めるようになり、阿弥陀如来のお告げ通り、多くの女性たちの出産の苦しみを救われました。
時代が流れ、応仁の乱で真如堂は荒廃し、阿弥陀様は行方知れずになってしまいました。
後に大蓮寺開山の深誉上人が伏見の町を歩いていると、一軒の荒れたお堂に光まばゆい阿弥陀如来がありました。
誰もこの阿弥陀如来をお守りしている気配のないことに心を痛めた上人は、慶長五年(一六〇〇)に大蓮寺を建立し、この阿弥陀如来を安置しました。
一方、真如堂は元禄年間の頃に復興し、失ってしまった阿弥陀如来を探し始めました。
やがて大蓮寺の阿弥陀如来がかつての真如堂の本尊であることが分かりました。
幕府から阿弥陀様を真如堂へ返還するように命じられた上人は、二十一日間、念仏を称え続けました。
すると成満の二十一日目の朝、驚いたことに阿弥陀如来像が二体に分かれたのです。結局、大蓮寺と真如堂で一体ずつ安置することになり、現在まで伝えられています。
以降、後光明天皇の勅願所となり、古くより京都の人をはじめ、多くの方々に信仰されてきました。  |